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SUZUKI YUYA | 経済を中心としたあらゆること

FX、投資、貯金、倹約、日記など。

諦めることは進むために必要なことで悪いことではない

「諦めるな」

 

この言葉、実に残酷だと思う。投げかけられた本人をそこ留め、前に進めなくさせる残酷な言葉だ。

 

人間の時は有限、全ての人にとって平等に時は流れていくが個人が持つ時間は限度がある。それが80年の人もいれば、20年に満たない人もいて、かつその割合を全て己の意思で使えるわけではない。

 

全ての人は時が経つのだけをただ待てる余裕はない、そんな時間は人生にあってはならないはずだ。人生は非常に短い、いや短く感じる。それは道程があまりにも長いのか、時の流れが速すぎるからなのか、わからない。

 

だが幸運なことにも、人間の過ごす時間のほとんどは無駄にならないように出来ている。一見無駄のように見えても経験として蓄積し、ほとんどのことは微々たる前進を与えてくれる。

 

しかし、それに当てはまらないことがある。

 

それは本人の意思を否定した時間である。

 

 諦めるというのは前向きな言葉

「諦める」、それは世間一般的にネガティブな言葉として認知されている。

 

諦める=悪、諦める=恥ずかしい、諦める=駄目な事、諦める=逃げる、等々の解釈をされることが多い「諦める」。

 

いつからか我々にとっての「諦める」は、後ろ向きな言葉の常連になっている。

 

しかし元々は仏教の言葉であり、「物事を明らかにしそれに納得した上で受け入れる」という前向きな意味が本来の「諦める」の姿である。

 

つまりは諦めるということは、当の本人はその問題に取り組んだ結果に納得し想いを断ち切り次に進もうとしている状態を表す言葉である。

 

日本で諦めるといえば、投げやりになる、どうでも良くなる等々のイメージがあるが、それは諦めるではなくて「投げ出す」という言葉の方が正しいのではないだろうか。

 

諦めると投げ出すでは差がある。そもそも投げ出すとは、外へ物を投げ捨てるということを行為が元で作られた言葉であって、納得して受け入れた状態とはまったく違う。受け入れるのと放り投げて目を背けるのでは天と地の差があると私は考える。

 

諦めてはいけないこともある

確かに絶対諦めてはいけない事もある。

 

極端な例で言えば「生きること」がそれに当たるが、現実問題として生きることを諦めてしまう人もいる。

 

後は「幸せになること」や「生きるためのお金を確保すること」だろうか。これを諦めてしまうと前述した「生きること」を諦めてしまうことに繋がってくる。ただこれは諦めるではなくて「絶望」という言葉を使った方が正しいか。

 

「幸せになること」や「お金を稼ぐこと」という大きな目標さえ失わなければ、その途中で何回諦めようが構わない。むしろそうやって試行錯誤を繰り返さないと目標は達成できないはずだ。

 

諦めるからこそ進める

 ここで冒頭の時間の話に戻そう。

 

冒頭では「本人の意思を否定した時間」が無駄な時間だと断言した。前述の話を踏まえてそれを正しく書くと「本人が物事を受け入れ、目標の達成のため次に進もうとしているのに、そこに留めて置いてしまってる時間」となる。

 

「諦めるな」という言葉は、「これが出来なきゃ次には進ませない」と言ってるのと同義であって、強制させるいわば一種の脅しのようなものだ。

 

それが絶対にクリア出来なければいけないのだろうか?もしそれをクリア出来なければ達成出来ない目標であれば、確かにそれを諦めることは目標を投げ出すことに近くなるかもしれない。

 

しかし、「一つの事がクリア出来なければ達成できない目標」とは、また大きな目標の中にある一つの要素であって、それが出来なければ達成できない大きな目標なんてこの世の中でそれほど存在しないんじゃないだろうか。

 

ならばそこに長い時間留まることをせずに、さっさと違う道で目標に向かっていった方が良い。人は複数の物事を同時平行することは苦手で、基本的に一つの事に集中しなければそれを成就することは難しい。だからこそ、成就させるため次に進むのであれば、今抱えてるものを手放さなければいけない。

 

諦めるとは進むために必要なこと事であって、それは悪いことでは決してない。

 

繰り返すが、人間の時は有限である。頑張っても人並み以上にできないものに多大な時間をかけるなどという無駄なことはせず、諦めていいものはさっさと諦め、あなたはあなたの目標に向かって進むべきだ。