SUZUKI YUYA FXで複業

月200時間以上の労働と副業で稼ぎ、貯めた資産をFXで運用している複業会社員トレーダーのブログ

言い訳は座礁である

言い訳,

 言い訳をする時と言ったら大抵の場合は失敗した時ではないだろうか。人間は何か失敗が起きた時に自分を守るために言い訳をする。この「失敗を受け入れたくない」や「自分の評価を下げたくない」という自己擁護は厄介なもので、そこからは何も生まれず失敗が無駄に終わってしまう。それがいけない。言い訳とは座礁なのである。

言い訳からは何も生まれない

 社会に出ればわざとらしい言い訳というのはあまり聞かなくなってくる。それなりの社会経験を積んだ社会人たちは、立派な言い訳というのだろうか、皆それらしい言い訳を言うようになる。ただどんなものであっても、失敗した時の言い訳は残念ながら醜い自己擁護にしか聞こえない。

 

言い訳は「これ以上、私を責めないで」のサインであり、評価が稼ぎに直結する会社員にとって生命防衛の行為だ。これを踏み越えてしまえば恨まれる。こんなバカな話があるだろうか?次に繋げるため、これから生産するための会話が恨まれる原因となる。じゃあ、その自己擁護から何かが生まれるのだろうか?もちろんそうなってしまえば、何も誰も成長しない。何も生み出さない。

 

私たち人間は何か生産するために生きている。財・サービスを生み出し、愛情を生み出し、自分たちの生命を見出し、人類の歴史を紡いできた。何も生まれないとはそれはゆくゆくは死にいくことを意味する。無意味なのだ、非生産とは。生産のための非生産はあるが、非生産のみというのは無意味なのである。無意味なことであればそこに前進はない。

前進するために言い訳は要らない

無意味ということは成長しないことでもある。人は誰だって前に進まなければいけない。人は前に進まなければ生きていけないように設計され、もし停滞することになればそれは不幸になる。これは人間が地上で最も優れた生物である由縁、遥か昔の紀元前から生き残るために獲得した変化する力、前を向く能力があるからだ。

 

もちろん、致し方ない理由があれば別だ。またそもそも言われのないことであれば自己擁護は徹底的にすべきだ。ただ考えて欲しいのはそんなことは稀で、人生でも数えるほどしかない現実だ。前進、言い換えるのならば成長するためには言い訳はいらない。成長するために失敗を受け入れなければ、成長は止まり前進も止まり、人生という船は座礁する。

言い訳は守りなら反省は攻めである

 攻撃は最大の防御と言うのだから、人生は攻めて攻めまくってナンボである。人間は農耕型になる前は狩猟型だった。つまり元々は攻めて生命の維持の食料を獲得してきた。何か攻めていかなければ人生は何も手に入らない。人は人に守ることを求めるが、最悪で質が悪いのはその結果に対して責任を持たないことだ。

 

だから我々は前進のオールを漕がなければいけない。言い訳をしてオールを手放すのではなく、オールをギュッと握って激流の中を漕ぎ出さなければいけない。オールを手放したことに気付ければまだマシだが、多くの人はそのことに気付かず、船がどこか遠く遠くへ流され、気付いた時には暗礁に乗り上げてしまうのである。

反省は最善の航路へ導く

私が確かに人より優れている点は、私が間違いを認められるところです。それが私の成功の秘密なのです

ジョージ・ソロス 

 これはヘッジファンドの帝王と呼ばれた時代のジョージ・ソロスが成功した要因について聞かれた際に答えた有名なセリフだ。ジョージ・ソロスは人間には常に誤謬性、つまり人間が作った全てものには欠点があるとの信念持ち行動してきた。それを自身にも当てはめ、自分のしている取引に間違いを発見すれば素早く引き上げ自身の行動を修正してきた。言い換えれば常に自分は間違っている前提で行動してきたのが成功の要因だと言うのだ。

 

大成功を納めた人物としてはとても後ろ向きに見える人物だが、この誤謬性についての信念には続きがある。それは誤謬性があるということは常に改善の余地、もっと素晴らしいものにできる可能性が常にある、との考えだ。誤謬性の指摘と改善の余地、このセットが彼の信念なのだ。どうだろう?とても前向きで素晴らしいとは思えないだろうか。

 

この考えを取り入れれば、我々の成長の仕方にはまだまだ改善の余地が残っており、それは反省によって成されるということになる。自分のやり方に自信を持つなと言うわけではないが、常に自分は間違っており失敗は当然する。だからこそ受け入れて反省し、成長の糧とする。こうすることにより精神的なショックは和らぐし、人生の航路がもっと良いものへと変わっていくんじゃないだろうか。

失敗しない人間はダサい

 私が会社員の生活の中で最も誇れること、それは仕事が早いことでも、意識が高いことでもない。社内の中で、長い歴史を持つ会社の中で、最も多く大きく失敗していることだ。私は打たれ強いわけでも賢いわけでもないが、失敗することを決して恐れてこなかったし、失敗せずに尻込みする方が馬鹿らしいと行動してきた。

 

そんな私は社内の中では鼻つまみ者扱いされ、常に冷笑の的となっている。こういうのは伝わってこなくて良いものを、一緒に仕事する中で必ず伝わってくる。私は当然人間なのでストレスに感じるが、よくみれば私を冷笑する人間ほど仕事ができない。当然、彼らは失敗しない、つまりチャレンジしない。時間が経っても経っても、変化してるようには見えない。私は人の人生に説教できるほど偉いわけではないが、彼らのような失敗しない人間、漕ぐことを忘れて座礁しかけている船たちはダサく感じる。

失敗するほどカッコイイ

長いこと失敗に対して葛藤を抱いてきた私はつい最近になって閃いてしまった。失敗すればするほどカッコイイことなんじゃないかと。私はついにアホになってしまったのかと自分が心配になったが、そんな心配は無用だった。自身を思い返してみても、偉人たちの名言をみても、歴史を調べてみても、失敗が人を成長させることが身に沁みてわかってきたからだ。

 

だから私は失敗がカッコイイ、失敗すればするほど良くなっていると安心し自信を持っている。失敗を受け入れることは容易くはない。打ちのめされることもあるし、その場では心の整理がつかずに逃げ出してしまうこともある。だけど飲み込み受け入れることによって、前進しているのだと考えれば楽しくなってくるだろう。