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自分の意見とか考えとかこの世で最もつまらない自己価値観を捨てよ

 ダイバーシティと言われて久しく。本家アメリカは前からダイバーシティオンザダイバーシティ、それと比較して日本人の場合はダイバーシティというほどの多様性を身に着けちゃいない。

しかし裏を返せばそれはまだまだ改善の余地や出し抜くチャンスがあるということだ。

じゃあダイバーシティって何なの?って所で私はそれを価値観だと考える。

じゃあ自分なりの確固たる価値観を持とうってなりそうだ。だが、そんなこの世で最もつまらない価値観なんて捨ててしまうべきだよ。

ダイバーシティという名のシンプルシティ

 ダイバーシティ、他者の価値観を認める。そして自己に内在化させる。これが理想とする形のダイバーシティだと思う。

だが今ダイバーシティを叫ぶ人間たちを見ていると、自身の価値観を貫き通そうとしたいだけのように見える。

あらゆる人種差別とか、そういったものを無くそうというのは良い。けど最もスケールが小さい自分の価値観を通そうとするのは違うと思うんだ。

だって貴方たちが理解して欲しいと思ってる人間たちは、大半が貴方の価値観を認めないはずだ。

受け入れることが出来る人間というのは、最初からそうしてる。そうじゃない人間を変えようと思っても9割は無駄になるだろう。

だったらそんな無駄なことせずに、受け入れてもらおうなんてのも考えなく良いんじゃないだろうか。

辛いと思うことがあっても、自分の人生は自分でしか生きられないだろうから。

そしてそれは他者もそうであって、その他者に受け入れて欲しいとか、自分の価値観を通そうとか、それはダイバーシティという名のマウントだ。

マウント取ろうとしている時点でダイバーシティじゃないよ、シンプルシティだよ。

価値観が一致するなんて不可能

 どこでも、誰それでも、価値観はまったく違う。一致する部分はあるが完全一致なんていうのはクローンでも無い限り不可能。

だからこそ面白いのだ。人は黒か白か、赤か青かなんていう単色では構成されていない。様々な色彩が入り混じり、コントラストがあってグラデーション で彩られている。

そんな人間たちが一緒いれば当然、衝突や嫌悪生まれる。当たり前だからこそそれを見越した上で、ダイバーシティとはお互いを尊重しよう、自己を尊重しよう、そういったものである。

だがそもそもそれって基本的な道徳でしょ?って。何を今さら馬鹿みたいなムーブメント起こしちゃってるの?って強く感じるほどにダイバーシティが声高に叫ばれている。

そして残念なことに、世間にそれを助けとして求めている人達がいるほど、人間は自利的で低俗、汚れる魂が溢れている。

誠に残念ならないが、全ての価値観を分かち合うことなど不可能なのだ。人には受け入れられない価値観もあり、それと戦うことしか選択肢が無い場合もある。

適宜、自己開示して繋がることは重要だが、求めちゃダメなのである。

ダイバーシティとはぶつかり合って混じり合うこと

 実は私は自分の意見や考えをめちゃんこ人にぶつける。しかしそれはそれが今正しいと感じ、外に出さなければ意味がないと考えているからだ。

そして衝突を経て、ドンドンとより良い価値観が形成されていく。私は他の人よりぶつける回数が多い分、変化も成長も深味も大きい。

この様に価値観とは一定ではなく、刻一刻と様々に変わっていく。これが人間の魂の彩りなのだ。

これは譲れないとか、人は人とか、自分は自分のしたいようにするとか、そういったゴミは捨てるべきだ。そんなんじゃ魂は磨かれていかないじゃない。

自分はこうしたいからダイバーシティ、人のも尊重するからダイバーシティ、ノンノンそんなのはダイバーシティではなく内在化の拒絶、他者を認めるようで無視すること、キャンパスを閉じるきと、自身の彩りを信じず、人間の美しさに目を向けない、まさに自分への背信行為だよ。

 

押し通すのではなく繋がる、無視するのではなく取り入れる。それが私のダイバーシティ理想である。