SUZUKI YUYAの投機術

投機で経済的成功を求める投機家が随筆する「金融・経済の多岐に渡って活用できる投機術」

もし一年後に亡くなるとしても、この人生を投資に使いたい

人生が短くても投資したい

 2018年2月初めに大きく体調を崩した。とてつもない吐き気、そして胃の痛みと不快感、病院では胃腸炎と診断され薬をもらった。しかし、この記事を執筆時点の3月中旬現在でも症状は完治していない。ピークは過ぎたが未だに吐き気と痛み、そして不快感は残っている。これは深刻だと思っているので、大きな病院で精密な検査を受けようと考えている。ここまで健康を損ねてからは会社よりも自分のことを優先しなければいけないと感じたので、休んでもバリウムか胃カメラを飲んでくる。

 

今回の病気は非常に辛かった、いや非常に辛い思いをしていると言った方が正しい。この苦しみの中でふと「もし一年後に亡くなるまでの瀕死状態だったら現状のままで良いのか?」、「こんな思いをしてまで社畜を続け人生を過ごす必要があるのか?」、「もし胃ガンなどの大きい病気で残された人生が少ないとしたら残りの人生をどう使いたいか?」と真剣に考えていた。そして、よくよく無い知恵を絞り考えたが私は残りの人生を投資に使いたいと思った。

命短しと身体で感じた

頭痛もするし足元もおぼつかない、血が足りない、自分の中に活力がないのがわかる。呼吸は小さく乱れて自然と目線が下がる、これ以上にないぐらい身体が重い。この状態で睨まれながら朝から晩まで働く。給料は上がらない、賞与も無いに等しい、残業代はもちろん概念すら無い。

 

こんな状態、こんな環境、そして好きでもない、嫌いな連中と私は働かなければいけない、続けないといけないのか?私の人生、こんなもんに多く割いてよろしいのか?私は仕事自体は好きだが、こんなに知恵が遅れているどうしようもない連中と一緒に仕事に取り組むのは無駄、どうしようもなくローパフォーマンスとしか思えなかった。

 

会社員になってからというもの身体を壊すことが多くなった。都度、医者にかかれば「ストレスが原因ですね」なんて皆言ってくる。そのカタカナの四文字熟語をどうにかしてくれ、その言葉の利便性は医者だけしか持っていない。それでも身体を壊し続けながら、したくもないクソッタレ仕事を続けるだけ人生は長いのか?なんて私は思いながら病気と闘っていた。

短い生涯を送る可能性を強く感じたきっかけ

 こんな私だから常々「好きで得意な仕事をして人生を幸せにするべき」だと考えていたし、そのために色々と勉強してるつもりだ。なおさらこの病状になってからはより一層その想いを強め、自分の人生を変えなければいけないと使命感と幸福の追求に駆られていた。

 

そんな中、ふと、より想いを強めるキッカケがあった。先日、お世話になっている居酒屋のオーナーの所に寄った際、若い常連客が胃ガンで亡くなったという話を聞かせてもらった。何でも私と同じく、強烈な吐き気と胃の痛みがあり、病院に言ってからも続くようなので大きな病院で検査してみたら胃ガンと宣告され、その一年後に亡くなってしまったらしい。年齢はとても若い、30代前半の前半である。

 

この常連客にとても親近感を覚えた。年齢がそこまで離れていない、そして症状が同じであったからだ。私よりも辛い状況にあったのかもしれないし、私よりも身体が弱かったのかもしれない。だがそれでも他人事とは思えなかった。

 

その後、そのオーナーから絶対に酒は呑ませないと気遣ってもらい、さらに胃に優しい食べ物を出してもらい「他人事じゃないからな、必ず検査してこいよ」と背中を押された。オーナーには学生の頃から世話をしてもらっていて頭が上がらない。とんと人格者だと感じるので、1人の人間として親しみと尊敬を持っている。

 

そんなオーナーから親近感が湧き他人事とは思えない話を聞き、忠告までしてもらった私は、胃ガンが大きくライフオブクオリティを損ねること、私が胃ガンになっている可能性も十分あり得るかもしれないこと、その2つに加えて「短い生涯を送る可能性が私にも十分ある」ということを理解し、特に3つ目は今まで考えていた人生の期限に現実味を帯びさせた。

 

十代などの若い人間であれば比率少ないかもしれないが、誰しも「死」を強く感じることがあると思う。私は身体があまり強くなくそして身体も壊しながらきてるので、自分のライフオブクオリティは呪ってきたことはあれど、当の自分が短い生涯を送る可能性があるとは今まで強く思わなかった。だが今回は病気が辛かったこともあってか、忠告されたこともあってか、とても非常に強く感じた。

人生でやりたいことは投資

投資を続けたい

 そこで自分の人生の使い方についていつもよりも深く検討したが、何故か投資を死ぬまで続けたいと思った。何故に投資なのかはわからないが、投資は意欲を掻き立てる、ただたんに面白い、というのが正解だろうか。

 

バフェットは父に連れられ証券会社の人間と会った際、その男がお気に入りの葉巻を一本選んだ時に、「これだ」と思い投資の道を選んだらしい。推測するに、数ある中から1つ、自分が選びぬいた一本に投資する、それで利益を出すことに魅力を感じたのだろうか。

 

私にとって賢人は理解とは遠く離れた存在である。昔も現在も、その頭の中を汲み取ることは非常に難しい。だが、なんとなくだが投資に惹かれた感情はわかる気がする。そこに崇高な思いとかそんなものは別になくて、単純に自分がやりたいなと思ったからやるという動機、わかるような気がする。

 

まぁ、もっと最もらしい動機を思いついたので書いていこう。

結果は死後に出る

投資というのは基本的に長期で考えて行う経済活動だ。手法はたくさんあり、成長しているものに投資する、割安だから投資する、などバリューやグロース以外にもままある。でも基本的には将来の予測を基に資産を投じ、キャピタルゲインやインカムゲインを得るのが投資である。

 

人生が短い場合でも優良な投資先さえ見つけて投資すれば、己が死んでもゲインをもたらしてくれる。それが一回の場合もあるし、長い長い間もたらしてくれる場合もある。見当さえ違わなければ死後に大きな結果を出すことが可能だ。

 

これが投資ではなく事業であればこうはいかない。世の中には短期間で成功する人間もいるが、大半は長期の取り組みによって結果を出すのが通常である。もし寿命が1年や2年であれば、確かな事業を作ることは難しいと思う。しかし、投資であれば時間は味方に付けることができる。時間とともに投資対象が成長してくれるからだ。

 

寿命が尽きた後も自分の投資先は成長する。自分の資産を先に差し出しさえすれば、長い時を経て十分な成果を出せる可能性があるのが投資なのだ。

大切な人へのギフトになる

そうして得たゲインを大切な人へギフトできる。家族はもちろん、親しい友人など、死後にギフト出来るのだ。もちろん、成功すればではあるが。ちょっとしたゲインでもお世話になった人へギフト出来るのは嬉しい。人生を豊かにできるほどのギフトでなくても。

 

自分の人生が短いとなれば、普通は自分の資産を自分のために使いたいと思うだろうが、別に全て使わなくても良いと思ってる。私は割合コスパが良い人間なので、自分の人生が短くてもそこまでお金を使うことはないはずだ。貯金はたくさんあるとは言い難いが、まぁ使い切るまで贅沢しようと思わないし、使い道があまり思い浮かばない。自分の病院代と生活費ぐらいか。

 

その余ったは少ないかもしれないが、長期の投資ならばまぁまぁ良い結果は得られるだろうし、世話になった分の100分の1ぐらいは返せるかもしれない。自分の人生が短ければ、自分にとって大事なものは大切な人が100%占める。その大事なものに何かを残すというのは素晴らしい。

投資は単純に楽しい

もっともらしい理由を1つ出してみたが、上記に書いた通り単純に投資は楽しいからやりたいだけだ。ギフトは作れるなら作りたいが、死に際だからこそ成功するというのは幻想で、紙くずになる可能性も十二分にある。ギフトは出来ればラッキーという話である。本気でギフト送りたいなら配当株に手を出すだろうし、その配当株も100%保証されているわけではない。

 

ということで自分にとって投資が最優先ということがわかったので、これからの人生どう投資と向き合って行くかを深く考えていきたい。相応の資産があれば専業にでもなれるのだろうが、生憎そんなに資産を持っていない。ちょうど短期売買からは可能な限り離れていこうと思っているので、どう働いて、どう投資していくのか、静養も兼ねてゆっくり考えていきたいと思う。