SUZUKI YUYAの投機術

投機で経済的成功を求める投機家が随筆する「金融・経済の多岐に渡って活用できる投機術」

自己投資をしないとリターンは増えず人生のパフォーマンスは落ちる

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 人間の投資先は金融資産だけでなく、将来をより良くするため自己も対象になってくる。自己投資はステータスに関わらず万人に必要なことではあるが、金銭的な面だけで見ればステータスが低い人間ほど自己投資の費用体効果が大きくなる。特に現状への不満足度が高ければ高いほど、例えば社畜や貧乏というステータスを持つ人間ほど自己投資のコストパフォーマンスは高くなり、金融資産に投資するよりも自己に投資した方が比例して圧倒的にリターンは大きくなる。

人的資本の重要性

 人間の資本には2つの種類がある。1つは目に見える金融資産、もう1つは自身の知力や体力そしてスキルなどの人的資本。社会経済では人的資本を運用(労働)して利益を得ることが人間の基本となっている。これはそのままフロー(収入)とストック(資産)の関係性に当てはめることができる。貧乏や社畜などの低スタータスとされる持たざる者はどちらも少なく、残念ながらエリートや金持ちなどの高ステータスは持っている者はどちらも多い。

 

基本的にはストックの量と比例してそこから生み出せるフローが変わるので、ストックが小さい持たざる者は生み出せるフローが小さく、逆にストックが大きい持っている者は生み出せるフローも多大である。そして残酷なことにフローが小さければストックが大きくなる速度は遅く、フローが大きい人間ほど多大なフローがまたストックに変わるため、ストックがさらに膨張しさらにフローが膨らむといった良い循環を生む。

 

このように人的資本が小さければフローも少なくなるため、ストックは大きくなりにくい。逆に人的資本を大きくすればフローも多くなるため、ストックも増えていきやすい。フローが少ない人間はいつまで経っても底辺層に居るしかなく、フローが多い人間は増々富める。これが資本主義社会であり、人間の競争社会の姿だ。

自己投資は人的資本の強化

 自己投資は生み出すフローを増やすために人的資本を強化する行為だ。生み出したフローをそのまま金融資産に足す、もしくは消費するのではなく、人的資本を強化するために目に見えない形ではあるがストックしていく行為なのである。

 

自己投資は目に見えないので消費と混同されることが多いが、可視化しづらい人的資本(能力や時間など)を増やす投資であって、決してストック総量が増えない投資ではない。この世のあらゆる全てのフローは必ずストックから生み出されるので、前項で説明したようにストックが増えない限りフローは増えない。つまり人的資本が強化されない限りはフローも増えずストックも増えにくい。

資本主義社会とは資本の競争である

 我々が生きる資本主義社会は資本がベースとなり正義である。これは「結果さえ良ければ、手段は常に正当化される」マキャベリ的な思想ではなく、人々が良く競争し正当に評価されるために生み出された社会の道徳的秩序である。

 

資本は互いに協力し合うことで増やし合うことも出来るが、時に奪い合わなければいけない面がある。就活や社内のポジションなど競争した結果、数ある資本を獲得する際に資本の競争、先の例では人的資本の競争が起きる。資本の大小で勝敗が決まり、資本が優れている人間が新たな資本を獲得する。

 

資本が小さい人間は得るものは少なく、資本が大きい人間ほど得るものも多い。つまり資本主義社会で生きるということは資本の競争に生きるということであり、資本が小さければ満足に生活することもできない。しかし、裏を返せば資本さえ大きくすればある程度の満足がいく生活を送ることが出来ることも意味する。

時が経つに連れて競争は激化する

 本来なら人間は公平にその能力を見定められるべきであるが、人的資本を測る指標の1つとして「年齢」を用いられる場合が多い。能力がまったく無い20歳と40歳では断然前者の方が価値があると見られるなど、年齢の低さは時として価値と見られれる。逆も然りで年齢が高ければ高いほどそれに見合った能力を要求され、その要求に答えられなければ「価値が無い」と判断される。

 

これは年齢が上がれば上がるほど人的資本は激しい競争に晒されるということを意味する。年齢は人的資本を構成するうちの1つ、その1つが価値を擦り減らすだけに留まらず、年齢相応という人的資本量の要求をされる。それに加えて年齢相応の人的資本を持つ人々との競争が発生する。

 

人は常に競争に晒されてはいるが、年齢を重ねれば重ねるほど人的資本を今までどれだけ積み重ねてきたかを問われる。気づけばもうどんなに努力をしても取り返せないほどの差をつけられ、資本の競争に勝てなくなり鬱屈した人生を送らなければいけないハメになる。

 

これは若者にとって50代や60代の遠い未来の話ではなく、早ければ40代、もっと早ければ30代、中卒や高卒などの低学歴に加えてビジネススキルの欠如があれば20代でも十二分に来る。昨日よりも今日、今日よりも明日、今年よりも来年、刻一刻と競争が激化していることに気づかなければならない。

自己投資は勉強と修行

 ここまで人的資本というストックとそこから生み出されるフローの話、資本主義社会では資本の競争が起きる話、2つの話をして自己投資の重要性を説明してきた。ただ自己投資の重要性はわかってもやり方がイマイチわからない人も多いと思うので、自己投資に繋がることを考える所から書き出していこう。

 

基本的に自己投資とは、自分に対してお金を使うこと、を世間的にイメージするかと思うが、それは半分本当で半分嘘である。半分の嘘の理由は、自己投資はお金だけでなく時間も使わなければ成すことは難しいという事実があるからだ。

 

自己投資の代表例として読書やセミナーなどが良く挙げられるが、あれは立派な自己投資だ。お金を払っただけでは完了せず、「勉強する」という自分の時間を注ぎ込む必要がある。また身体トレーニングも「鍛える」という自分の時間を注ぎ込む立派な自己投資である。

自己投資は労力を要する

 この様に「勉強する」「鍛える」などの時間を使う=労力を注ぎ込むのが自己投資である。ただお金を払って終わり、は消費であり人的資本の強化には繋がらない。つまり自己投資とは苦労や努力が付き物なのである。

 

長い休みを使って海外旅行をした。美味しい食べ物を食べた。そんなものは自分へのご褒美であって自己投資ではない。自分へ自分で報酬を与えるということは重要ではあるが、人的資本を強化する自己投資とはまったく別ものである。

 

自己投資をしてもすぐには効果は出ない。辛く苦しい面もあるが、これが格別に楽しいという面もある。最中は苦しくてつまらないものであっても将来のリターン、フローの強化を考えると面白くて仕方が無い、そんな状態まで持っていけるのが最高である。

努力ができない人間は一生できない

自己投資をわかりやすく噛み砕いて言い換えるのならば、すなわち「努力する」ということになる。この努力を出来るかどうかで人的資本の大きさは決まってくるのだが、不思議と努力できない人間はいつまで経っても努力できない。必要に迫られて始めるならまだ良い方で、必要に迫られるとその場から逃げることで解決を図ろうとする人間もいる。

 

お金も使って、時間も使って、さらには苦労までして、一向に効果が出ない。そんな苦しい自己投資という名の努力であるが、豊かな人生を送るためには避けて通れない。そもそも努力しない人生というのは怠惰で退屈で無意味で、人生を送る上でこの上ない不幸をもたらす。

 

自己投資はやってみなければ覚えることが出来ない。読書で勉強するにしても適した本を選ばなければ効果は低く、また読書が自分にとってベストな自己投資ではないかもしれない。まずはやってみて手探りで探しながら努力して覚えていくものなのだ。愚か者はまずやらないので自己投資を覚えることもなく、気付いた時には自己投資出来る人間と人生を賭けても取り返せない差をつけられてしまうのだ。

人的資本を増やす自己投資はパフォーマンスを上げる

 人的資本の増加に伴うフローの増加、年齢上昇に伴う競争の激化、自己投資をすればどちらも解決できる。フローが増えればストックも増えて経済的に豊かになり、競争の激化は敵ではなく味方となる。自己投資は人生のパフォーマンスは右肩上がりで上げてくれる。

 

金融資産はある程度の量がない限りその効率性は額面に出ない。相対的には金融資産が少ない内は人的資本を増やす方が、フローを増やすことを考える上で効率的なのである。となれば金融資産も人的資本もどちらも持たざる者が現状よりもフローを増やすには、金融資産を貯めようとする前にまずこのフローの部分を強化することがベストだ。

 

自己投資は選択肢があるのならばやればやるほど良いものである。またやってる内にドンドン選択肢も可能性も見えてくるだろう。だから安心して覚悟して自己投資を始めるべきだ。自己投資をしなければ人的資本から得られるリターンは増えず、資本競争にも勝てず、人生のパフォーマンスは下がっていく一方である。