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長時間労働から解放された日、苦しみにピリオドを打った気がした

 無慈悲に続く慢性的な長時間労働は人の心を壊す。それは最初、軽い気持ちだったかもしれない。だけど段々と人生の砂時計の輪郭が浮かび上がるにつれて、深層へと深く根を張った他者に握られている鎖なのだと自覚する。

それは突然だった。プログラムのようにそれが正しいかどうかはさておき、狂いなく動く予定調和の如く朝から晩までのデスマーチが施行されることとなった。序盤は気合で何とかこなすことが出来たが、精神力ではどうともできなかった。

次第に自分の時間の重さとそれをどれだけ失うかを知ることになる。精神が倒れた次は肉体と言わんばかりに身体を壊した。それでも最初から最後までやり切った。そうだ!私はやりきったのだ。

今日、時代の経過と共にマーケットが変わった。今日、マーケットともにシステムも変わった。私は長時間労働から解放され、莫大な自分の時間を取り戻すことができた。全身の毛穴から喜びが吹き出して止まらない。

時間はありがたい資産

 ついに長時間労働から解放された。長ったらしく前置きを書いてしまったが、ただ「嬉しい」の一点に尽きる。現在は解放された身軽さ、増えた時間を謳歌して、ただただ幸せな時間を過ごしている。

以前は朝から晩まで会社員として働いていたわけだが、現在はそれが夕方までに短縮された。増えた時間はザッと4時間くらいなわけで、単体で見るとそこまで多くないが一か月や一年のスパンで見れば膨大な時間を取り戻したことになる。

いきなり時間がドッと増えてやりたいことがやまほどある一方、何から手をつけていいか、自分が本当は何をしたいのかわからない、結局は大したことができない、そんな喜びの悲鳴を上げて過ごしている私だが、その中で「時間」という資産の有用性について深く思い知らされている。

時間があれば多量のお金は不要なのではないか

 このやりたいことがやまほどあるのに、何一つ手につかない状況、増してビジネスに対しての意欲が衰えていることに対して非常に困惑している。「燃え尽きてしまったのか?」とバーンアウトが原因かと考えたが、おそらくそれだけではない。

私はずっと以前から「時間」が最も重要な資産と考え、将来的にその「時間」を増やすために「お金」を増やそうとビジネスに情熱を捧げてきた。しかし、ホワイトな会社員になり念願の時間が手に入ってしまったおかげでその情熱が消えかけているのだと思うのだ。

これは私の考え方が起因する部分もあると思うが、総じて人は時間があれば金はそこまで必要ではなくなるのではないかと思ってしまうのだ。現に私は現在が非常に幸せで、金銭に対する欲が消えかけている。稼がなければと思うよりも「良い仕事をしなければ」と感情の面が優先されている。

 現実世界をよく見れば、貧乏な人間ほど暇で、裕福な人間ほど忙しい。特に田舎では顕著に出ており、早い時間から不良を卒業できない立派なアダルトチルドレンは街をウロつき、決まったスーツを着ている人間は22-23時ぐらいに帰路についている。

アダルトチルドレンの仕事に対しての意欲の低さについてはいつも驚嘆させられるが、それも多量の時間があるからこそハングリーになれないのかなと思えるようになってきた。時間があって人生をそれなりに謳歌しているからお金はいらない、私も時間がある今が幸せであって向上心が消えている。

お金と時間はあらゆるものに変換できる

 お金と時間、この2つの資産は変換性が高い。お金を時間に換えることもできれば、時間をお金に換えることもできる。例を挙げればキリはないが何も物質だけでなく、余暇などの評価することのできない事象にも変換することができる。

これは何を指しているかというと、一概にお金と時間の価値を算出することはできないということである。株式や債券、通貨の価格は世界標準的に算出することはできるが、それでもマーケットはどこか歪んでいるものであって、ミスプライスが起きる。

それと同様、というわけではないがお金や時間には人によって価値が異なり、それが原因で価格(ここでは単位)が共通でも個人が感受するものに相違が生まれる。そうなると当然、単位とのズレが生じる。

他のモノへの変換性が高いお金よりも特に時間は歪み、あるいは変化が生じやすい。わかりやすい例で言えば時給など、個人の価値を表す「競争性」だろうか。あとは「お金よりも時間」などの単純で強力な価値観、個人における実用性の違い。

これはその人が「時間」をもっと価値の高いものに換える手段が持っていれば、それに連れられて時間の価値も上がるため、なおさら強烈に出やすい。この変換性が高く、質も高ければ、「時間があるからお金は不要」という満足の図式にも納得が行く。

お金と時間を両立することの価値は高い

 ここまで「時間」に焦点を当てて話を進めてきたが、もちろんお金より一概に優れているとは言えず、時間には時間の長所があるように時間だけでは補えない所を補ってくれるだけの長所がお金には存在する。それと同じようにお金の不完全性を補ってくれるのが時間なのだと言う話だったのである。

私は今回の長時間労働から解放されたのを機に給料がわずかに下がった。といっても副業での収入で補うどころか、以前よりも収入は増えている。そればかりか時間の融通が大幅に効くようになったので、益々副業の収入は増える見込みである。

 かくしてお金と時間の両方をレベルアップし両立できるようになった私だが、この両立の価値は非常に高いと思う。さらなる収入アップ、それによってさらに時間を増やすことも望める。もちろんライフオブクオリティ向上にも、どちらも使えるわけだ。

一般的にはどちらかを得ようとすればどちらかが減り、両立が成り立たないとなってしまうわけだが、それは自分自身のメモリを増やすことによって解消できる。長時間労働によってそれが理解し増設することができた。

そして一旦メモリさえ増やしてしまえば、以前の自分より大きいメモリ(お金と時間)を使ってさらなるメモリ増設ができる。資産が資産を生むように、メモリがさらなるメモリを生む好循環に入れるわけだ。

お金と時間を天秤にかけている仕事を精査しよう

 私はマーケットの変化によってシステムの変化がもたらされ、今回のように時間を得ることができた。非常に幸運、ラッキーで手に入れた。もちろんラッキーで慢心しているわけにはいかない。この手に入れた時間でもっと人生を素晴らしくしようと考えている。

あなたはどうだろうか?お金と時間は最適化されているだろうか?年を追うごとにメモリは増えてきているだろうか?この「お金と時間は大事」という当たり前の価値観をもう一度だけ考えてみてほしい。

お金と時間は本当に大事なのだ。この2つが人生を構成していると言っても過言ではなく、この2つが最適化できればもっと素晴らしい人生になるのである。そして、この2つは自身の考え方や行動などの努力によってある程度コントロールできるのである。

人生にはどうやっても防げないものがある。身内の不幸、恋人や伴侶の離心、人生を揺さぶる事故や病気など、人間は自然と反目し合っては生きていけない。しかしお金と時間は努力次第でどうとでもなる側面があるのだ。

あなたが今就いている仕事はお金と時間が両立されているだろうか。もしくは将来的に両立できる、または自分にとって最適なものになっているだろうか。漠然と当たり前のように仕事をせず、疑ってかかってみてほしい。

全て思い通りになるわけではないが、行動することによって今よりも人生は豊かになれる。副業をして月に2-3万の収入を増やす、そして投資に回す。スキルアップのためにお金と時間を自己投資する。考えれば少しは出てくる。

今はパラレルキャリアの時代なのだから転職したっていい。スキルや実績が大したことなくても条件の良い会社に移れる可能性もあるし、異業種に転職してキャリアを成長させたっていい。これも先に挙げた投資と自己投資と同じで、スタートを切るだけなら数分で終わる。

どんなに小さくてもまずは行動してみよう。それの積み重ねで自分の予想の斜め上を行く未来を迎えることができる。私も唐突に時間を手に入れたわけだが、何はともあれ非常に幸せである。